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3.11 10年後 [雑感]

2011年3月11日14.46には、東京電機大学の研究室で、机に向かっていました。初期微動が長く、遠くの強い地震だと思っているところに、突然どんと大きな揺れが始まりました。倒れそうに揺れる本棚の前に飛んでいって、両手を広げて押さえていると、机の上のパソコンのモニターが今にも落ちそうに大きく揺れ出しましたが、足や手を伸ばしても届かないので、本箱を押さえながら落ちないように祈っていました。数分後揺れが収まったときは、3冊くらい本が床に落ちる程度でした。どこかの大きな地震だと思い、すぐ物理実験室に行ってテレビを見ました。ヘリコプターからの映像で、陸に向かっている大きな津波が映されているのを見て、思わず「これはソリトンだ」と同僚に言ったのを思いだします。地震と津波の被害があれほど大きかったことは、その夜まで予想もできませんでしたし、また原子力発電所がメルトダウンや水素爆発を起こすことなど、とても想像できませんでした。夕方訪れたスーパーやホームセンターは普段通り、電池も食料もあると思っていたら、次の日にはほとんど売り切れていてびっくりでした。14日に羽田から福岡に戻ったのですが、最寄りの東武東上線が停止していたので、運行していたリムジンバスを利用しました。15日に埼玉県上空にきた放射性粉塵を避けられたのは幸運でした。今も、亡くなった人、行方不明の人の数だけの悲劇と助かった人の数だけの奇跡を思うとき、胸が詰まります。
この大震災は、大きな課題を人類に突き付けました。エネルギーを原子力に頼る社会のもろさ、虚構に過ぎない安全神話を生み出した科学の責任、この課題に真摯に向き合うことなく進められる復興政策やエネルギー政策。また現在のコロナ禍は、「観光立国」の脆弱さ、すなわち日本が食料も医薬品も日用雑貨など必須のものを自国内で生産できず、観光客や技能労働者が来なければ成り立たない社会であることを露呈しています。この10年間に経験したことを踏まえて、そのような社会の仕組みを根本的に変えて、次の世紀につなぐことが求められていると思います。
すでにお読みいただいているかも知れませんが、少し前に公表しました科学者の責任と新しい社会の仕組みについての論考のリンクを記しておきます。コロナ後の社会を考えるとき、これら二つの視点は極めて重要であると思います。

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