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南山城支援学校で訪問授業 [訪問授業]

11月28日に、京都府立南山城支援学校で訪問授業「なざなぜ?ふしぎ教室」を行いました。空気のふしぎを体験する二つのゲームをしました。最初のゲームでは、タンポポ型飛行体を棒に通し、うちわであおぐか送風機にかざして空高く飛ばしました。内側を虹色に塗ってもらい、くるくる回って落ちるときにできる虹のような模様を観察しました。もう一つのゲームは、ペットボトルで作った空気砲で恐竜などの的を倒すものでした。コツをつかむのに苦労した生徒もいましたが、1分間に9個の的を倒せた生徒もいました。うまくできた生徒もできなかった生徒もふしぎを十分体験してくれたものと思います。打ち合わせ・準備をやっていただいた前川さん、後藤さん、ゲームを取り仕切ってくださった辻先生、また生徒を補助してくださった先生方に感謝いたします。
追記: 学校のホームページで紹介していただきました。

「”反重力”折り紙をとばそう」開催 [物理ゲーム館]

福岡市科学館において、サイエンス福岡クラブ主催の物理ゲーム館を、11月4日と5日に開催しました。落とすとひらひら舞って落ちるだけの紙を少し折ると、投げなくても、落とすだけで、重力に打ち勝ったようになかなか落下せず、前方に滑空します。こんな不思議な現象がどうして起こるのか、この現象を利用する動物・人間や植物(アルソミトラ)について説明したのち、実際に参加者全員にA5の紙で滑空体を作ってもらいました。
DSCN9540.JPGその後実験室に作った広いスペースで、滑空距離の競争をしました。2日間で4回、計39名の参加者の中で、最長距離は6.2mほどでした。各回の優勝者には、アルソミトラの種が賞品として渡されました。その後、正方形の普通の折り紙でも滑空体を作ってもらい、飛行実験を楽しんでもらいました。
 不思議な現象を体験し、ゲームで遊ぶ中で物理を学ぶという「物理ゲーム館」の目的が十分達成されました。
科学館.jpg  案内.JPG飛行実験.jpg  発射.JPG折り紙で.JPG  
 

物理ゲーム館、西日本新聞のコラム欄で紹介 [アウトリーチ活動]

23-10-27.jpg当研究所が長年取り組んできた「物理ゲーム館」は、不思議な現象を体験する物理ゲームで遊びながら、自然を見る目を養い、考える力を身に着けさせ、ひいては理科好き、物理好きの子供を増やそうという取り組みです。このことを西日本新聞の経済部長さんが取り上げてくれ、コラム「気流」で紹介してくれました。参加は事前申し込み制でしたが、空席がありますので、当日は先着順で参加を受け付けます。
 今年度は、来週の福岡市でのイベントのほかに、京都で体験授業を2回行います。タンポポ型飛行体を用いた新しいゲームも行います。

2重虹 [雑感]

2重虹s.JPG 朝、京都の研究所の庭で西向いて散水すると2重虹が見えました。上の虹と下の虹で、色の順序が逆になっています。また二つの虹の間は、やや暗くなっています。これらの現象は、水滴による光の反射から生じることが物理学によって完全に説明されています。

「物理ゲーム館」が福岡市進出 [物理ゲーム館]

『物理ゲーム館」が福岡市に進出します。「物理ゲーム館」は、「おやっと思う ような不思議な現象を体験させ、それを用いたゲームで遊ぶなかで物理に親しみ、理科離れをなくす取り組み」で、東京電機大学に在職していたときに始め、その後も京都で体験授業として行っています。今回は、私も所属していますサイエンス福岡クラブの主催の「2023年秋のセミナー」として、「”反重力”折り紙をとばそう」を福岡市科学館の実験室で行います。落とせば ひらひら舞い落ちるだけの紙を少し折って、落としたら前 に飛ぶようにしたものをつくります。原理を説明した後、 飛ぶ距離を競うゲームを行います。11月4,5日の午前午後に4回開催され、4回とも代表が講師を務めます。
参加には福岡市科学館のホームページ
https://www.fukuokacity-kagakukan.jp/activity/2023/09/hp.html
から申し込み(期間:10月1日~15日、多数の場合:抽選)が必要です。


#国際卓越研究大学 と大学改革 [オピニオン]

「教育は国家100年の計」であり、大学・大学院は国の将来を担う人材を育てる場として、国民に直接責任を負う教育機関であるが、今大学は大きな分岐点にいると思われる。 1990年代から政府・文部科学省は、大学院の重点化や国立大学の法人化を含め様々な取り組みを行ってきた。その一連の施策の最後を飾るがごとき大型の事業が「#国際卓越研究大学 」認定制度であり、その最初の候補大学として東北大学が選定された。政府出資金約1.1兆円、財政融資資金からの借入金約8.9兆円の合計10兆円のファンドの運用益(年間3000億円以上を想定)を、数校の大学に配分するという計画である。選定された大学は、最大25年の間毎年数100億円程度の資金を得て、世界トップレベルの研究水準を目指すことが求められる。ちなみに、22年度前半期は1881億円(▲3.67%)の赤字だそうで、将来にわたって想定されている年4.49%以上の運用とはかけ離れた結果になっている。また、参画大学は研究成果を活用して年3%の事業成長が求められ、42年度からは借入金の償還義務が生じることになっている。運用次第という資金では、長期的展望に立った大学の運営は不可能であり、今後大学がどうなるか大変危惧されるところである。
 この制度は、アメリカやイギリスの私立大学が巨額の独自資金の運用益で教育・研究を充実さしていることから、巨額なファンドがあれば、大学の研究・教育力が向上するとして創出された。しかし、それはまさしく本末転倒であり、優れた教育・研究機関だから資金が集まっているのであり、多額の金をつぎ込んでもよい研究ができるわけではないことはこれまでの取り組みからも明らかであろう。研究者が自由な発想に基づいて行う研究に対して支給されている科学研究費は、2022年度は新規と継続分を合わせて81,031件146,996,123(千円)であり、上記の数大学に対する巨額な資金提供は、日本全体の研究環境を大きく歪ませることになろう。特に巨額な研究資金が研究不正の温床になってきたことを忘れてはならない。また、参画大学は、外部の人を中心とする合議体制によるガバナンスが求められているが、そのような協議によってよい研究が生まれ、教育の質が向上するとは思えない。
 政府・文科省は、2004年の国立大学法人化の2年前から次々とCOE(21世紀COE)、GCOE(グローバルCOE),WPI(世界トップレベル研究拠点)、WISE(卓越大学院)など研究拠点形成のための大型の競争的資金や、FIRST(最先端研究開発支援)やImPACT(革新的研究開発推進)などの特定の研究課題を支援する競争的資金を導入してきた。予算規模はプログラムによって異なるが、数100億円から1700億円である。これらの大型競争的資金以外に、優れた教育改革の取組を支援する様々なプログラム(Good Practice(GP))が競争的資金として実施されている。これらの競争的資金は、主に従来の運営費交付金(法人化以前は校費)を毎年減額して手当されており、競争的資金を獲得できなかった大学の運営は大変厳しくなっている。国民は、その能力に応じて等しく教育を受ける権利があるが、数校の大学で大学生全員を教育することはできないのは自明であり、教育費の競争的資金化は平等な教育を受ける権利を損なっている。
 この20年余りの間に行われたさまざまな取り組みにもかかわらず、大学院博士課程への進学者数は減り続けており、研究力の凋落は甚だしい。その根本原因は、博士課程を出た若手研究者が安定した身分で、自由に研究できる環境が損なわれてきたからに他なず、大学・大学院の教育研究を支援すべく導入されてきた競争的資金がその根本原因になっているのは極めて皮肉なことである。
 最後に指摘しなければならないのは、メディアは取り上げないが、競争的資金の応募書類の作成に教員・事務職員の莫大な労力が使われていることである。採択されればその労も少しはねぎらわれるであろうが、採択されなかった大学で費やされた労力はほとんどが無駄になり、教員の研究時間をそいだだけの結果になる。競争的資金の採択率は20%から30%だから、後者の方が圧倒的に多いことは憂慮すべき事実である。

処理(汚染)水放出は未来の人類そして地球への犯罪であるー唯一の解決策は? [オピニオン]

政府は、8月24日にトリチウム汚染のある#処理(汚染)水を海中放出することを決めた。先のブログで述べたように、科学的に決定できない疑問に対して、あたかも科学的根拠があるような主張を繰り返し、IAEA で決めた基準を満たしているから安全だという主張を繰り返している。この主張を論文にして投稿すれば、十分な証拠がない主張であり、掲載に値しないとして直ちに返却されるであろう。「科学的根拠」を主張するなら、処理水を使って動物+人体に対する安全性を確認する実験が必要だし、数年ではなく数100年、数1000年さらに長期の観察が必要となる。それができない以上安全性の科学的根拠はなく、いくら「丁寧」に説明しても、科学的根拠を説明したことにならない。他の国でも流しているからというのは根拠にならないのは、子供でも分かることであろう。しかも、放出時のトリチウムの濃度だけで安全性が判断されているが、長期的な影響は濃度ではなく放出量であり、全放出量に対する判断が必須である。科学的に短期的、長期的、超長期的安全性を確認できない以上、「安全である」という主張こそ風評であり、安全性を疑うのは風評ではない。また、政府が言う安全性の担保は、魚を数十年に渡って常時モニターし、なにかあればすぐ放出をやめると言うことのようだが、それはこの放出が地球上の全人類/生命を対象とした人体実験であることを示しており、そのときすでに放出した処理水をどうやって回収するのか?またしても「安全性神話」が政策を歪めている。地球上の全生命を「実験のモルモット」にすべきではない。
なぜ汚染水がたまり続けるのか、それには二つの原因がある。一つは、メルトダウンでできた放射性デブリを未だに取り除けないことにある。技術力は、デブリの除去にこそ注ぐべきではないか。もう一つは、地下水をくみ上げ続けるから、汚染水が増加しつづけていることである。デブリの冷却に新鮮な地下水が必要なわけがなく、処理水を冷却水として使うことは可能であろう。つまり、地下水の流入をせき止め、不足する冷却水に処理水を使えば、自己完結した系ができ、その中でデブリの除去を急ぐことが現時点の最善の、そして唯一の解決策であろう。
岸田首相と政府が、そして我々が未来の人類に対する犯罪者にならないことを望む。

国際会議9IDMRCS [学会]

DSCN9585.JPG千葉県幕張メッセ国際会議場で行なわれています第9回複雑系の緩和に関する国際集会(9IDMRCS)に参加しているところです。過去には、ビゴ(スペイン1997)、クレタ(ギリシャ2001)、リール(フランス2005)、ローマ(イタリア2009)、バルセロナ(スペイン2013),ヴィスワ(ポーランド2017) で開催され会議に出席しています。今回は、コロナ禍で2年間延期され、ようやく今年開催されたものです。国際会議に出るのは2019年の春以来49IDMRCS-talk.png年半ぶりで、旧知の友人・知人といろいろと話を楽しんでいます。今朝は最近の研究について講演(招待)しました。ただ、参加者に会議中にコロナ感染・発症した人が少なくとも二人おり、今日の講演会場でも後に座った人が二人ごほん・ごほんとマスクなしで咳をしていましたので、この会議がコロナの世界的なエピセンターになるのではと危惧しています。
(8月19日追記)
会議では、Slow Arrhenius Process, Material time, Stringlet など新しい概念を目にしました。これらは、私の提唱する自由エネルギーランドスケープ描像で完全に理解できると考えています。学ぶところが多々あった会議でした。
(9月15日追記)
講演中の写真です。
G-LO1-1-3.jpg

専門店の専門書の分類はどうなっているの? [雑感]

DSCN9533.JPG 先日福岡市の中心部に出かけ、久しぶりに大規模書店に立ち寄りました。専門書も揃えている大きな書店で、わたくし自身の書いたあるいは訳した本も何冊か書棚に配架されています。しかし、最近の「社会物理学」(共立出版)、「つながりの物理学」(裳華房)や少し前の訳本「パーコレーションの基本原理」(吉岡書店)が、物理学ではなく数学の棚の並びの「カオス・複雑系」の棚に配架されているのを見て驚きました。これらの本で扱っているのは、少なくともカオスではなく、従来考えられている複雑系とは異なった学問分野です。従来の物理学の概念では理解できない自然現象や社会現象でみられる普遍的性質を、統一的(物理的)に理解するための新しい物理的概念・手法を確立する学問分野ですから、物理学の領域に新しく棚を設けてほしいものです。
 出版社の方によれば、どこに配架するかは書店次第だということです。科学研究費の研究分野の見直しも、時代と遅れてしか行われませんが、書店における学問分野の枠組みはさらに遅れていると感じました。

改めて原発処理水の海洋放出に反対する [オピニオン]

政府は今夏にも原発処理水の海洋放出を始めようとしている。この問題についてはすでに2022-08-10のブログで反対しているが、改めて反対の意見を表明する。
 放射性物質の生態系に及ぼす影響は、「科学的に定義できる問題であるが、科学では答えられない問題」であり、ワインバーグが定義したトランスサイエンスの問題である。岸田首相は、「科学的根拠に基づいて丁寧に説明する」というが、科学的に答えられない問題に科学的根拠を与えることはできない。よりどころとするのは、国際原子力機関(IAEA)の報告書であるが、「処理水の放出は日本政府による決定であり、この報告書はその方針を推奨するものでも、支持するものでもない」と強調しており、科学的根拠に基づく「お墨付き」を与えるものではなく、海洋放出計画が「国際基準に合致している」ことを示したにすぎない。「国際基準」は、海洋放出物質の濃度に対する基準であるが、地球環境に対する長期的な影響を考慮する場合は、放出される物質の総量が重要である。分かっていることは、何十億年にわたる地球環境の微小な変化が生命の進化をもたらし、現在の地球環境ができていることである。
 人間の「科学的」と称する営為によって地球環境を破壊することは、地球上の全生命体に対する冒とくである。放出された放射性物質は、日本近海にとどまるわけではなく、世界中に拡散され、その影響を予測することは不可能である。これは風評ではなく、「安全であると科学では証明できない」という科学的事実である。「他の国が放出しているので日本も放出してもよい」のではなく、他の国に放射性物質の海洋投棄を止めさせるべきであろう。

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