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ウクライナを憂う [オピニオン]

20世紀に二度の世界大戦を経験し、それに学んだ今世紀には大きな戦争はないのではないかと楽観していましたが、ロシアのウクライナ侵攻を見て驚くとともに、一人の愚かな独裁者によってこのコロナ・極寒の中で多くの市民と兵隊としてかり出される若者の命が奪われることに大きな憤りを覚えます。
 ウクライナは私にとって忘れられないところです。1977年の6月にウクライナのリヴィウ(そころはルボフと呼んでいた)で開催された「金属・非金属転移」の会議に招待され、モスクワを経由して、キエフ、リヴィウを妻と一緒に訪問しました。初めての外国旅行、また初めての国際的な会議での発表で、緊張しつつも全く異なる文化に大いに刺激を受けた旅行でした。ソ連時代ですから、国営の旅行会社のインツーリストが完全にコントロールしたものでしたが、若い女性通訳が案内してくれたキエフは、街路樹が多くとても美しい街並みでした。
 キエフからリヴィウへは、小さな飛行機で向かったのですが、悪天候で遅れると共に、飛行中は大きく上下に揺れ、乗客は全員声を上げることなく無事な飛行を願っているのを感じました。多分夜10時頃だったと思いますが、無事着地すると大きな歓声が上がりました。到着後、順にタラップを降りたのですが、私たちがタラップを降りると、なんと地上に10人ほどの人が横一列に並んで出迎えてくれ、妻には花束が渡されました。多分、日本からよっぽど有名な研究者が来ると勘違いしたのでしょうね、後にも先にも国際会議に出かけた街の空港で出迎えられたのはこの時だけです。
 リヴィウ滞在中は、4人の同世代の研究者が私たちの世話をしてくれました。会議中はその内の1人の研究者が隣に座って英語訳をしてくれていました。妻には研究者の1人が付き添って、毎日街を案内してくれました。そのころリヴィウは、前世紀の雰囲気を思わせる街並みで、泊まったホテルは、部屋の天井が4mくらいある古い宮殿のようなところでした。英語訳をしてくれた研究者は、私たちと数人の研究者をアパートに招いてパーティーをしてくれました。
 この時出会った人々、ウクライナの人々が、愚かな独裁者に屈することなくこの困難なときを無事に切り抜けられることを切望致します。

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